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2024/05/20 06:05 |
ボローニャに着くまでの珍道中
さて、10月14日に日本を出たわけですが。予算の関係上、飛行機はスカンジナビア航空を使用いたしました。SASは長期間のオープンチケットばっか扱ってる会社なんで、1年オープンとか買うときには結構条件がいいんですな。ただ、ボローニャ直行便はなかったんで、ミラノまで買ってミラノからは電車に乗ってボローニャ入り。ミラノに着いたの夜だったから、中央駅前で一泊。

飛行機が真昼の便だったので、結構朝は大変でした。2時間前くらいには成田にいなきゃいかんから、新宿から7時半のリムジン。3000円だけど、荷物多い時は便利。今回はもうとにかく荷物が多かったし、通勤で混む時間帯なんで、ちょっと電車で成田は無理かなと……。

ちなみに、例の家紋入りスーツケースに大きなリュック背負って、肩からA4入るサイズのショルダー、という出で立ちでの旅でした。総重量42キロ。私自身と大して重さ変わらない。スーツケースが24キロ、リュックが13キロ、ショルダーが5キロで、預けたのはスーツケースのみ。ちょっと途中で死んじゃうんじゃないかなって思ったけど、なんとか生きてたよ……。

しかし、このスーツケースとリュックのおかげで結構な目にあいました。飛行機に預ける荷物って、エコノミーだと20キロまでって相場は決まっているのだけど、まあ25キロいってなければ大抵は超過料金とらないで乗せてくれるもんなんですよ。ちなみにアリタリアは昔、33キロを超過料金なしで乗せてくれました。同級生には、チェコから50キロを超過料金なしで持って帰ってきた強者もいます。

ところがSASは厳しかった。それはもうとても厳しかった。SASが厳しかったのか、あのキャビンアテンダントのお姉ちゃんが厳しかったのかはわからないが、なかなかに悲惨だった。

まず24キロだから4キロ分の超過料金をとられるわけですよ。それはまあ運が悪かったって思うよ。けどさ、機内持ち込みの荷物って普通量らないじゃん、重さ。まあまずそのままスルーしてくれるじゃん。まさかの「機内持ち込みの荷物は8キロまでです」宣言ですよ。こちとら13キロ背負ってるわけです。背中にはパソコンとプリンターが収納されてるから、間違っても中身出したりしたくない。特にプリンター入ってるとこは、いろんなもんをギリギリで詰めてるから、下手に開けられない。それに預ける荷物にパソコンやらプリンターやら、緩衝剤もなしで今更入れるなんて冗談じゃない。危険すぎる。

CA「5キロ分の中身をトランクに移し替えていただけますか
(笑顔)
私「いや、それはちょっと……
(微妙な顔)
CA「その中には何が入ってるんですか
(微妙な笑顔)
私「パソコンとプリンターなんで、どうしても移し替えられません
(真顔)
CA「ああー……パソコンとプリンター……
(引きつった笑顔)
私「そうなんです、パソコンとプリンターなんです……!
(頼むから勘弁してくれ顔)

〜〜〜 間(互いに無言) 〜〜〜


CA「……わかりました、でももう二度とやらないで下さいね
(引きつったままの笑顔)
私「……はい……
(安堵した顔)

という、緊迫感溢れるやりとりがあって何とか13キロを持ち込むことに成功。ショルダーバッグは多分、女性用のハンドバックとしてカウントされていたのか量られなかった。もしあれが5キロあることを知られていたらこうはいかなかったかもしれない。助かった。

だが、持ち込むことに成功したとはいえ、もともと私の筋力を越えた重さの荷物なので、これを持って動くのはなかなかに厳しい。要するに18キロ抱えて動いてる訳ですから。自宅から新宿までですでにかなり消耗してるしさ。

飛行機乗ったはいいけど、まずリュックを座席の上の荷物入れまで持ち上げられない。持ち上げようとするとふらついて力尽きる。ていうか腕が残念な感じになる。近くのお兄ちゃんが手伝ってくれて、無事に収納。この後、飛行機の乗り降りするたびに誰かが手伝ってくれた。ありがとう各国の紳士たちよ。助かった。

幸い、機内はすいてたので隣に人がいませんでした。4つ並んだ席に2人っていう贅沢さ。座席で足伸ばして寝てました。行儀悪くて申し訳ない。

そして無事に経由地のコペンハーゲンに着いたのはいいんですよ。コペンハーゲンの空港はわかりやすかったし。問題は次の乗り口が遠かったことなんですよ。乗り換えの時間が1時間しかないのに。そもそも、乗るたびに持ち込み荷物のチェックとかされるから、パソコンを出し入れしなきゃいけない。その作業が結構時間くうんですよね。おかげで30分で乗り口にたどり着かないといけなかった。

なのに遠い乗り口。18キロ抱えて、乗り口まで疾走。疾走してんのに普通に歩いてんのと大して変わらないスピード。でも疾走。もともと足速くないのにさらに18キロの重りつき。超つらい。

……何とか乗り口に着いて、すぐに搭乗始まりました。疾走してなかったら間に合わないっていう。だから8キロまでなんですかね、荷物。違うな絶対。

そしてコペンハーゲンからミラノに向かう飛行機に乗ったわけですが、今回も3人席に2人で、結構すいてました。ひとつあけたお隣は確かスウェーデン人だった。白髪のすてきなお爺さま。イタリア語は片言で、英語が堪能。私は英語ダメなんで、あんまりお話はできなかったけど、この紳士なお爺さまが荷物の上げ下げをして下さったので助かった。「重いねー、50キロはあるんじゃないのかい?」なんて冗談まで飛ばしていたよ……。

そしてやっとミラノに着いたもののすでに夜。というわけで空港から中央駅までシャトルバス。そして中央駅前のホテルへ。このホテルでまたビックリ事件が起こる。

フロントのお兄ちゃんに鍵もらって、エレベーター乗って、部屋の鍵開けたらすでに誰かの荷物があったんですよ。部屋の中に。

これは大変、とあわててフロントに戻る。荷物はこんでくれるボーイさんなんていないから、42キロ抱えたまま。フロントで部屋に誰かの荷物があったよ! と訴えると、フロントのお兄ちゃん、もう一回宿泊者名簿を見て「ああ! 間違えたよ名前! これは失礼!」だってよ。ダメだろう! 間違えちゃダメだろうそこは! どうやら私の名字と似た感じの名字の人が泊まっていたらしい。私が泥棒さんだったら確実にあの部屋の人の荷物は盗まれていたぞ。

結局、別の部屋のキーをもらって、今度こそ誰の荷物もなかったのでそこで就寝。何とか頑張って、背中の荷物からパソコンとプリンター以外を全部出し、ショルダーを小型のものにして重いものを全部出し、それらをスーツケースにむりやり入れたところでさすがにちょっと力尽きた。外に出て夕飯食う気にすらならず。しかも寒かったよミラノ。暖房ついてても寒いよ。

次の日、朝起きてお風呂入って朝食食べて、中央駅でボローニャ行きのチケット買ってチェックアウト。昨夜の様子からセキュリティに不安を覚え、スーツケースだけ預けてミラノの街に出る。地下鉄に乗ってドゥオーモで下車。パラッツォ・レアーレにて展覧会観てきた。ホッパーとスカピリャトゥーラの2本立て。両方で17、8ユーロかなんかだったので、やっぱり結構とられるなーと思った。イタリアってわりと展覧会、高いんだよな。

ホッパーは元々あまり好きではなかったのだが、版画とかデッサンとかは結構面白かった。色ついちゃうとちょっとなんかなーと思うのだけど、白黒はいいですね。スカピリャトゥーラは正直あまり興味を持てず。でもああいうもんも観とこう、と。

それと、ブックショップ脇でちょっと特別展みたいなのやってて、これは無料。来年ミラノにNovecentoの美術館ができるんだけど、そこに収蔵される作品の一部を使って、現代作家がインスタレーションをやっていて、そのうちのひとつがフォンターナの作品でした。ちょっと得した気分。ルッソロの自画像まであって、こりゃすごいなーと。タダで、しかもみんな気づいてないのか人いないっていう。独り占めでした。

で、展覧会の後、ドゥオーモでのんびりして、ちょっとお散歩してから駅に戻って、ホテルで荷物受けとってボローニャへ。荷物多いから普通の電車乗りたくないんで、贅沢してESで。こっちの電車、ホームからの高さが結構あるので、スーツケース持ち上がらない。うんうん言ってたらそのへんのお姉ちゃんが手伝ってくれたんだけど、重すぎたのか「Mamma Mia!」と彼女は叫んでいた。実にイタリアだ。

幸い、席が車両の後ろの一席しかないとこで、横がまるまるあいてたんでそこにスーツケース置いて1時間すごしました。電車が揺れるたび、どこかに行こうとするスーツケースを押さえながらの旅だった。ちょっぴりつらかった。

そして降りる時もどこかのお兄ちゃんに手伝ってもらいました。ボローニャ中央駅のホームで一緒に住む子と待ち合わせ。ずーっとメル友(これすでに死語か?)状態だったので、顔知らなかったんだけど、まあそりゃわかるよね。ボローニャで、駅で、日本人が2人待ち合わせて、他の人と間違うとかまずないよ。フィレンツェならあるかもしれんが。

で、その子に手伝ってもらって家までバス。荷物置けてホッとしたけど、ボローニャ寒いんだわ。想像より。ちょっとこれジャケット買わなきゃいかんなーと思った。そして後に買った。

その後、夜にG語大のゼミで一緒の人たちとも会って、歓迎してもらいました。ありがとう。私がビザ申請のとき、ボローニャ大で登録した授業がなくなった子がいるからちょっと待て、と言われたんだけど、まさにその授業がなくなった子もいた。いやあ、あれか、君のせいか! でもまあ、そこは大して待った訳でもないので、別に気にしてない。正直。イタリアって授業の予定とかすぐ変わるし、次の年度の授業予定出るの遅いし、十分にあり得ることだから。

そんなわけで、私は今、ボローニャのcentroちょっと外の家で、これを打っているのでした。無事に自宅にADSLも引けたので、平和に暮らしております。

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2009/10/14 00:00 | Comments(0) | TrackBack() | in Italia

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